「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」(27節)
2019年2月7日、20年ぶりに訪れた八木重吉記念館の中で、白い手袋をはめて壊さないようにおそるおそる、八木重吉が100年も前に使っていた古い聖書の表紙を開きました。すると、〈扉〉と呼ばれる白いページに、このマルコによる福音書の御言葉が、英訳で書き入れられていたのです。一節が三行に分けられ記されていて、まるで短い詩のようにも見えました。
With man it is impossible,
but not with God;
for all things are possible with God.
― Mark.10.27.―
八木重吉はなぜ、自分の聖書の扉、最初のページに、この御言葉を書き込んだのでしょうか? とにかくこれが、重吉にとって何らかの意味で大切な御言葉であったことは間違いありません。ではどういう文脈で、この言葉は主イエスの口から発せられたのか――改めてこの箇所の前後を読み直す中で、この御言葉の重要性を深く思わされるようになりました。本日は、聖書の文脈を踏まえながら、主イエスが発せられた「神にはできる」という言葉の意味について、ご一緒に考えたいと思います。
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