2018.12.9
「神の憐れみの心」



ルカによる福音書1章57~80節


【音声データ】
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★ 待降節(2) ★


    

「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」(78~79節)


 私たちの〈罪〉によって真っ暗闇になってしまったこの世界に、真の光が差し込んできました。主は、私たちの世界を照らす光として来られました。私たち人間の世界は「暗闇と死の陰」、すなわち、無力さ・救いの無さの中に座しています。「座している」とは立ち上がることができずに座り込み、へたり込んでいるということです。神様を信ずることもできず、お互いに信じ合うこともできない今の世界と、人間。“自分たちはあまりにも年を取り過ぎた。どこにも希望はない。神の約束など何の力もない”と考えているのは祭司ザカリアと妻エリサベトだけではありません。彼らの姿は“自分たちは取り返しのつかない罪を犯してきた。今さら、この世界を変えることなどできない”と信仰を失い、希望を失っている私たち自身の姿でもあります。

 しかし、そんな私たちの所に「高い所からあけぼのの光が」訪れるのです。この言葉は、人間の希望がどこから来るかを告げています。この光は、この世界から出てくるものではありません。「我らの神の憐れみの心による」と言われているように、神ご自身が、その愛する民を訪れることから来るのです。すなわち、これは神ご自身が放つ光です。「あけぼのの光」は主イエスご自身を指しています。ザカリアは“主こそがこの世界の消えることのない光であり希望である”と歌っているのです。神様はかつてイスラエルの民を憐れんでくださいましたが、その同じ憐れみによって、この世界をも憐れんでくださるでしょう。すなわち神の深い憐れみの御心によって、私たちの内に再び神を信ずる信仰が回復されるようになるのです。そしてそれは、「我らの歩みを平和の道に導く」でしょう。







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