2018.10.7
「真理に歩み、愛に歩む」



ヨハネの手紙二 1~13節


【音声データ】
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「わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです」(5節)


 そもそも〈神の掟〉の内容は、第1に神の子イエス・キリストの名を信じることと、第2に互いに愛し合うことという2つの面を持っていたはずなのに、どうしてこの勧告には後の第2のほうだけしか出てこないのでしょうか。今、“ナザレのイエスは単なる人間に過ぎず、神ではない”と惑わす者たちによって教会員の内に亀裂が生じています。その中にあって「真理」に歩むことは、すなわち神の御子の〈受肉〉と〈贖罪〉を信じて教会に踏みとどまることなのです。

 「互いに愛し合う」こと、つまり教会に踏みとどまって教会員の一致を守ることの中に、イエス・キリストの御名を正しく信じることが含まれているのです。いや、正しい信仰を抜きにして、主イエスに足を洗っていただき・己の罪を贖っていただくことを抜きにして、真実にはお互いに足を洗い合うことができないのです。私たちも、このことを肝に銘じておかなければなりません。敵をも赦し愛するほどの愛は、生まれながらの私たちの内にはありません。自らの努力や熱心によって律法を守り・行い、その要求するところを満たすことはできません。だから“互いに愛し合って生きよ”というこの勧告は、“真実な愛を与えてくださる主イエスの御名を信じ、本当に主に結ばれて生きよ”という勧告・勧めでもあるのです。

 難しい理屈を言う前に、私たちも全力で愛を行ってみたらよいのです。自分の力や熱心によって行うとき、それは必ず行き詰まり、不平不満が生じてきます。しかし新しい力や喜びが生まれてくるなら、そこに復活の主が生きて働いてくださっていることは確かです。なぜなら、それは自分の力によるものではないからです。“互いに愛し合って生きなさい”というこの掟は、“そこに、私も必ずいる”という主の確かな約束でもあるのです。







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