2018.9.2
「祈りは聞かれる」



ヨハネの手紙一 5章13~21節


【音声データ】
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「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる」(14節)


 この御言を皆さんはどれだけ本気で信じているでしょうか。全能の神様を信じるのであれば、その人は、〈神にはできる〉と信じるだけでなく〈神は祈りに応えてくださる〉とも信じるはずです。ただ、祈りというのは神様に私たちの自分勝手な願いをきかせ、神に小間使いをさせることではありません。神様との関係が、私たちの姿勢が問われています。例えば〈お賽銭〉というものがあります。賽銭箱に小銭をジャラジャラと投げ入れ、時には奮発してお札を入れて願い事をする。その願いがきかれたら“ご利益があった”と言い、自分の思い通りの結果にならなければ“神なんか、いるものか”となる。でも拝む姿勢がどれほど敬虔で・熱心で・真剣であったとしても、それは結局、神を自分の願いのためにロボットのように働かせているにすぎません。どれほど丁寧な言葉を用いようとも、心から信じているつもりであろうとも、結局は自分が神の立場に立ち、神様に使い走りをさせようとしているにすぎない。だから“こんなに多額のお賽銭をあげたのに、ちっとも効果がない”といった思いが生じてくるのです。

 たとえどれほど丁寧な言葉を用い、敬虔な態度で、熱心に祈ったとしても、私たちが神を神とするのでなく、神に自分の言うことを聞かせようということにすぎないなら、それはまことの〈祈り〉とは言えません。「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら」というのです。つまり私たちの自分中心の願いや尽きることのない欲望を神様に聞かせることが〈祈り〉なのではなく、むしろ「神の御心」を私たちが心の耳を澄ませて聴くことこそが〈祈り〉なのです。神様を神とすること、神に仕えることが私たちの本当のあり方です。その上で「何事でも神の御心に適うことを」私たちが心から願うならば、それは必ず聞かれます。それを妨げるものは何もありません。







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