2018.8.12
「網を降ろしてみなさい」



ルカによる福音書5章1~11節


【音声データ】
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「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(5節)


 ペトロは今、主イエスの言葉に対して、その言葉に信頼し服従するかどうかという決断の場に立たされたのでした。彼自身の体験や知識に照らせば、沖へこぎ出し網を降ろしてみることは、まったく無意味であり、無駄でした。しかしペトロは、圧倒的に迫って来る主の人格から出る言葉に信頼し服従して、疲れ切った体に鞭打って再び沖へと漕ぎ出し、網を降ろしてみたのです。

 このように、神様の御言は私たちの現実に挑戦してくるのです。それは断乎たる命令であり、明らかな収穫の約束でもあります。その際、この御言に聴き従って、実際に一歩を踏み出すこと、網を降ろしてみることが大切なのです。〈信仰〉というのは、〈宗教〉と、似て非なるものだと思います。私たちが頭の中で神様や救いについて、いくら真剣に思い悩んだとしても、それは自分の中だけのことです。しかし、その〈外側〉から呼びかける声があるのです。私たちは皆、それぞれの人生の経験や知識の範囲の中で神を捉え、判断しようとしますが、その〈向こう〉から射し込んでくる光があるのです。

 〈信仰〉というのは、知識でも経験でもありません。御言に従う決断こそ〈信仰〉なのです。ペトロは、主イエスから「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われて“先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。もう、とれないことは分かっています”と答えて岸にとどまったのではありませんでした。そうではなく「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えて、新しい一歩を踏み出したのです。〈信仰〉とは、限界や弱さに満ちた自分の中で、罪の闇に満ちたこの世界の中で、グルグルと当てもなく思い巡らすことではなく、沖へ漕ぎ出して漁をしてみる決断なのです。それは、何か行動を起こさなければならないということでもありません。主の御言に従って生きる決心・決断をし、主を信じて現実に生き始めるということです。その時、おびただしい魚が与えられるのです!







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