2018.7.15
「たとえ、そうでなくとも」



ダニエル書3章1~30節


【音声データ】
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「そうでなくとも……わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」(18節)


 神様は、ご自分に忠実に従う者たちを、御使いを送って救ってくださいました。素晴らしいことです。けれども、このような奇跡が起こらないことや、ハッピーエンドで終わらないことが、現実にあります。その時、18節の言葉が響くのです。この3人は、今、神様が介入して奇跡を行ってくださるか否かにかかわらず、神に信頼し通し、“決して偶像礼拝はしない”とはっきりと宣言しました。奇跡を確信する素朴な楽観主義よりもさらに深い神への信頼が、危機的な現実の只中で鮮明に告白されています。

 私たちの信仰は、時に、“神が人生の危険から人間を救ってくださる”ということだけに傾いて、ご利益宗教に堕する危険があるのです。3人の若者は、神様がこの絶望的な窮地から救い得る方であることを確信しています。しかし彼らにとって信仰の最終的な拠り所は、神が彼らを目前の危機から救ってくださるか否かとは関係ありませんでした。彼らは奇跡を待望する楽観主義を超えて、ひたすら神の究極的な勝利に賭ける信仰を告白したのです。

 さらに、「たといそうでなくても」(口語訳)どこまでも父なる神様を信じ抜いた人がいました。それが神の独り子イエス・キリストです。主イエスは十字架の上で、“お前が神の子なら、十字架から下りて来い。そのような奇跡を見せたら信じてやろう”と人々からあざけられ、ののしられても、最後まで奇跡を求めることなく、悪魔=サタンに勝利なさる神の救いを信じ抜いて、十字架の上で贖いの死を成し遂げられました。神の御子イエス様は十字架にかけられ、殺されました。けれども、3日目に神は御子を復活させられました。

 どんなに酷い苦しみにあっても、神様は必ず守ってくださいます。そして最後の救いを与えてくださるのです!







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