2018.7.8
「一人一人に手を置いて」



ルカによる福音書4章38~44節


【音声データ】
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「日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた」(40節)


 日が沈み安息日が終わるのを待ちわびて、新しい日が始まるや否や、人々はそれぞれ病人を連れて来たのでした。「病気で苦しむ者」自身がイエスのもとに来たのではありません。そうした人を「抱えている人」が皆、彼らを連れて来たのです。私たちも同じです。様々な病のために弱り、苦しんでいる人と共に、その人を看病し介護する側もまた、いろんな悲しみや労苦を抱えています。この時、主イエスの許に病人を連れて来た人々も、それぞれに切なる願いや祈りをもって連れて来たことでしょう。主はその「一人一人に手を置いていやされた」(40節)。岩波訳聖書では「彼は、彼らの一人一人に両手を置いて、彼らを癒し続けた」と訳されています。ここでの癒しは、シモンのしゅうとめの場合と違い、〈言葉〉によるものではありませんでした。しかしルカは、ここでも「主(=神)の霊」(18節)が主イエスと共にあり、このお方を通して神の力が働いていることを告げるのです。

 そして主イエスがなさった癒しの業は、主が十字架と復活の救いを成し遂げて天に昇られたあと、教会に引き継がれました。後の教会もまた、病人の上に手を置いて祈ってきたのです。ヤコブ5章には次のような言葉があります(5・14~16)。今、私たちの教会もまた日本キリスト教会全体も、礼拝に出席できない人や、病を抱えている人、看病・介護する人が本当に増えてきました。そのこと自体は辛いこと・悲しいことですが、しかしマイナスなことばかりではありません。仙台黒松教会でも礼拝に出席できない方のお宅や施設に出かけて行って、一緒に讃美歌を歌い、短い御言のメッセージを語り、可能であれば聖餐式を行っていますが、そこに主が共においでくださり、「一人一人に手を置いて」希望を与えてくださる恵みを感じます。







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