2018.7.1
「愛には恐れがない」



ヨハネの手紙一 4章1~21節


【音声データ】
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「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(10節)


 神様が、なぜ愛する独り子イエス・キリストをこの世に送ってくださったのか。それは、己の罪をどうすることもできない私たち一人一人に代わって、その独り子に罪を負わせるためです。そうやって私たちの罪を赦し、ありのままの私たちを受け入れて、ご自分の子どもとしてくださるためだったのです。ここに真実の愛がある。ここに私たちの愛の源がある。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう」とヨハネは繰り返し勧めますが、私たちが愛し合うことができるのは、愛なる神様が、まず私たちを愛してくださったからです。人は神を直接見ることはできませんが、神が愛であることは、現実の歴史の中で「聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」(1・1)であって、抽象的なものでも観念的なものでもないのです。ご自分の愛に背いて反逆した人間を滅ぼさないで、独り子イエス・キリストをこの世にお遣わしになり、十字架の上で殺してまで、人間の罪を赦し、愛してくださったのです。

 この手紙には「偽預言者」とか「反キリスト」と呼ばれる人々が登場します。彼らも、かつては仲間でした。しかし、彼らとの間には根本的な違いがあります。彼らは神の御子が肉となって来られたことを受け入れないのです。しかし、ヨハネにはそのようなことは受け入れることはできません。ヨハネは主イエス中心にすべてを考えます。神様の愛は、御子が世に遣わされたことの内に現されているのです。見て、聞いて、手で触れることのできる現実そのものとして、神の愛は私たちに届いた! だからこそ私たちもまた、目に見える現実の兄弟姉妹を愛するのです!







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