2018.6.24
「世々にいます、生ける神」



ダニエル書6章19~29節


【音声データ】
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「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか」(21節)


 この問いこそ、ダニエル書全体の問い、いや聖書全体の問いです。神様は本当に「生ける神」であられるのか。神に仕えることはどんな意味があるのか。その「神の僕」を本当に神は獅子の穴から救い出す力を持っておられるのか。私たち自身の問いでもある、普遍性を持った問いです。この問いに対してダニエル書6章は“然り、その通りである”とはっきり答えているのです。しかし、その答えは必ずしも手近な仕方で、生きている間に与えられるとは限りません。ダニエル書12章に示されているように、最終的な答えは世の終わりに与えられることになる、つまり「多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める」(12・2)という仕方で答えが与えられるのです。その意味で、主イエスの復活という終末的な出来事の中に、神様からの究極的な答えが与えられているのです。このように、ダニエル書は主イエス・キリストという答えを、まだそれとは知らずに指し示しています。

 そのように思って読むと、今日のダニエル書6章は主イエスの受難と復活の話と実にピッタリ重なってきます。ダニエルがほかの総督や大臣たちから妬みのゆえに陥れられたのと同じように、祭司長・律法学者たちが主イエスを総督ピラトに訴えたのは妬みのゆえでした。主イエスに何の落ち度もなく、その訴えが言いがかりであったことも、ダニエルの場合と同じでした。ピラトが主イエスを釈放しようと試みたけれども、訴える者たちの声に負けて、主イエスを十字架につけるように命令したことも、ダレイオス王がダニエルを救おうとしたけれど失敗に終わったことと共通しています。十字架から引き下ろされた主が墓に納められ、入口が石でふさがれたことは、ダニエルが投げ込まれた洞窟の入口に一つの石が置かれ、印で封をされたことと通じています。そして何よりダニエルが獅子の洞窟から無事に出て来たことは、主が墓の中から復活させられたことを暗示しているのです。







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