2018.6.17
「あなたの主はだれですか――安心の場を求めて」



ヨハネによる福音書2章1~11


〈吉平敏行先生による説教〉


【音声データ】
※クリックすると音が出ます



    

「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」(5節)


 婚礼の裏方の任を負っていたイエスの母は、宴たけなわでぶどう酒が切れたと息子に告げますが、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです」との返答に戸惑ったことでしょう。しかし、その言葉が奇妙に感じるのは、息子はこんな言い方をしない、という私たちの思い込みから来るのかもしれません。その場は、ぶどう酒が切れて困っている一人の婦人とメシアとして立たれる主イエスとの力関係があって、主が神の御業を現されるために、弱さを抱える一人の人間として、主イエスご自身もはっきりと向き合う必要があったのでしょう。

 イエスの母は息子の返答に、どうすることが最善であるかを考えたはずです。召し使いたちに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と命じ、裏方を統率する権能を主イエスに委ねたのです。その結果、一切は主イエスの手に握られ、動いていきます。

 ご自分の「時」を認識された主イエスは、召し使いたちに大きな水がめに水を満たすよう命じます。召し使いたちは言われたとおりに動きましたが、自分がくんだ水が上等のぶどう酒に変わるなどとは思いもよらなかったでしょう。しかし、世話役が花婿を褒めたことで、水がぶどう酒になったと知ります。この出来事は、裏方で仕えた者だけが奇蹟と知ったのであり、宴に興じる人たちは気づきません。主イエスの奇蹟とは、何事もなく整然と動いていることの中にあるのです。

 主イエスが神の業をなすことで栄光は現され、弟子たちがイエスをメシアと信じたことで実を結びます。一切は、イエスの母が息子イエスを主と仰いだことが契機となりました。人間的な業に限界が訪れ、主イエスご自身が動き出されて、その場が祝福されました。困難に直面した時こそ、イエス・キリストを主と仰ぐ機会となるのです。







トップページへ