2018.6.10
「権威ある言葉」



ルカによる福音書4章31~37節


【音声データ】
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「人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである」(32節)


 汚れた悪霊に取りつかれた人が健やかにされたこの礼拝について、ルカ福音書は主イエスの行為をいっさい記していませんし、また悪魔祓いの儀式が行われたとも報告していません。この場面でルカがひたすら目を注ぎ、記しているのは、主イエスの「言葉」(31、36節)、つまり主イエスの説教です。この礼拝では主イエスによって御言が、権威をもって語られます。それは決して空しく終わることなく、そこに命の出来事が起こるのです。礼拝に集う人々の間から驚嘆の声が湧き上がります。「人々は皆驚いて、互いに言った。『この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは』」(36節)。そして、この小さな群れから自然発生的に「イエスのうわさは、辺り一帯に広まった」(37節)のです。

 ルカにとって主イエスの「言葉」の「権威」とは、律法学者の解説と比べてどうというのではなく、あるいは単に説得力があるというのでもなく、現実の「力」を発揮するもの、しかも悪霊に対抗して打ち勝つ力のことを指しています。

 それにしても、私たちは今日の場面に登場する「汚れた悪霊」(33節)、「悪霊」(35節)という言葉に戸惑い、これをどう考えたらよいのか分からなくなります。悪霊とは、非科学的な、単に昔の古くさい迷信に過ぎないのでしょうか。現代の私たちにとっては、ここで起こっている事柄は科学的・医学的に見て精神的な疾患、心理的な問題と解釈し、それで片付けてしまうようなことかもしれません。しかし特にルカ福音書では、一般的な病気と悪霊の働きが一つにされています。例えば今日の場面に続く38節以下では、シモンのしゅうとめの高熱や様々な病気は悪霊に取りつかれた結果であるとしているのです。そして今日の場面では主イエスの「言葉」の「権威と力」は、まさに悪霊との戦いに勝利を収めるところにこそ現れるのです。







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