2018.6.3
「行いをもって誠実に愛し合おう」



ヨハネの手紙一 3章11~24節


【音声データ】
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「兄弟を憎む者は皆、人殺しです。……すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません」(15節)


 主イエスはマタイ5章で次のように語っておられます。「……兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」(5・21~22)。これは実に厳しい言葉です。“殺してはならない”という掟を形ばかり守って、殺人の罪を犯さなければそれでいいというのではありません。心の中で他者に対する憎しみ・恨み・呪いという闇の思いを抱くなら、それはもう人殺しをしたのと全く同じ、何も変わらないというのです。「兄弟を憎む者は皆、人殺しです。……すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません」(15節)。ほんのちょっとでも、憎しみや恨みの感情を抱いたことがないという人は、一人もいないと思います。そうであれば、私たちすべての人間が「人殺し」であり、〈永遠の命〉を持ち得ない存在なのです。

 しかし、この「人殺し」である私たちすべての人間のために「イエスは……命を捨ててくださいました」(16節)という驚きの事実が告げられています。主イエスの十字架の死は、〈永遠の命〉を持ち得ない私たちに〈まことの命〉を与えるための死だったのです。「そのことによって、わたしたちは愛を知りました」(16節)。このキリストの愛こそ無償の愛・無条件の愛です。それも正しくない者のために、代わりにその罪を負って命を捨ててくださったほどの愛なのです。

 ただ、この主イエスの十字架の愛は、いわゆるヒューマニズム=人類愛とは違います。人間の罪のゆえに壊れてしまった神様と人間との交わりの破れを、神の側から修復するためになされた、贖罪の供え物として与えられた御子の死なのです。私たちは、神の御子の死という代価・代金を払って罪と死から買い戻された者たちなのです。今や、神の御子の身代わりの死によって私たちは罪と死の支配から解放され、神様の御手の内に、まことの命の中へと移されたのです。







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