2018.4.22
「悪魔の誘惑」



ルカによる福音書4章1~13節


【音声データ】
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「四十日間、悪魔から誘惑を受けられた」(2節)


 実は、この場面で主イエスが遭遇した悪魔の誘惑は、荒れ野を行くイスラエルの民が遭遇した誘惑と、ピッタリ重なっています。第1の“石をパンに変えたらどうだ”というのは、パンが欲しくて不信仰に陥り、つぶやいて、神様がマナを降らせてくださった事件(出エジプト記16章)と重なり、第2の“悪魔を拝んだら、世界のすべてをくれてやる”というのは、モーセの留守中に金の子牛の像を造って“これこそ、我々をエジプトから救い出した神だ”と偶像礼拝に陥った事件(出エジプト記32章)と重なり、そして第3の“神様を試してはならない”というのは、“飲み水を与えよ”と言って神様が本当に水を出されるかどうか試そうとした事件(出エジプト記17章)と重なります。つまり主イエスは、人間が出逢うであろうあらゆる誘惑――食べ物の誘惑・権力の誘惑・信仰の誘惑、すなわち経済的・政治的・宗教的誘惑と言い換えることもできる――を、私たちとまったく同じように受けてくださったのです。そしてその誘惑に、ただ御言のみを用いて、ことごとく勝利してくださったのです。

 聖霊は主イエスを、喜ばしい所・心地よい所ではなく、石や岩ばかりゴロゴロ転がっている「荒れ野」へ連れて行って引き回し、「悪魔」の誘惑に遭わせたのです。ここには驚くべきことが記されています。「悪魔」が荒れ野を引き回したのではありません。聖霊が主イエスを引き回したのです。それは、罪の力や誘惑に打ち勝ち、私たちを罪や悪魔の力から解放するためでした。

 このお方が、私たちといつも共にいてくださいます。だから私たちは、安心して悪魔の誘惑に立ち向かうことができるのです。神様を信じるということは誘惑を受けないということではありません。むしろ誘惑や苦しみの中で、神の勝利と力を確信していくのです。誘惑を受ける中で、一人一人も教会も、錬り鍛えられ、育てられていくのです。







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