2018.3.18
「何の罪も見いだせない」



ルカによる福音書23章1~25節

〈レント5〉

【音声データ】
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「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」(4節)


 ついにピラトはユダヤ人たちの要求を呑んで、暴動と殺人の罪を犯したバラバを釈放し、主イエスのほうは彼らに引き渡して好きなようにさせたのでした。今日の場面でピラト一人を責めることは簡単です。しかし、ここで振り返りたいのは、むしろ私たち自身の姿です。私たちの中にもピラトと同じものが潜んでいるということはないでしょうか。いやピラトばかりでなく、今日の場面に登場するすべての人が、罪を抱え持った存在です。そしてそれは、ほかならぬ私たち自身の姿なのです。祭司長たちや律法学者たちのように、外側ばかり善く見せるけれども、真実に神様の許に立ち帰ろうとしない罪。自分の誤りを指摘されて怒り、他人を妬む罪。ピラトのように、自分の身を守るためひたすら保身に走り、正義を貫くことができない罪。民衆のように、誘惑されて自らの欲望の虜(とりこ)になってしまう罪……。私たちすべての人間が主を十字架につけたのです。

 このように、私たち一人一人の罪によって、主イエスは十字架につけられました。主の十字架、それは〈罪人の身代わりの死〉でした。それは〈大いなる交換〉の出来事でした。何一つ罪を犯されたことがない主イエスが、暴動と殺人の罪を犯したバラバと交換されたのです。バラバの罪は、主が彼の代わりに十字架につくことによって、帳消しにされたのです。なんと理不尽なことでしょうか。しかし、実はこれこそが、神様の救いのご計画であったのです。私たちあらゆる人間の罪を独り子の身にすべて背負わせて、その代わりにすべての人の罪を帳消しにすること、それが神様のはるか昔からの救いのご計画でした。神様が、私たちの〈罪〉をキリストの〈義〉と交換してくださった。なんと大きな、喜ばしい交換でしょうか! 神様は罪にまみれた私たちと、ご自分の独り子を交換してくださり、私たちを罪の審きと滅びから釈放してくださったのです。







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