2018.3.4
「私の願いではなく、御心のままに」



ルカによる福音書22章39~53節

〈レント3〉

【音声データ】
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「誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」(46節)


 主イエスは弟子たちに、また私たちに「誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」と言われます。私たちは、祈ることが少ない者たちです。祈り続けることができません。弟子たちと同じように、肉体の弱さの故に、目を覚まして祈っていることができません。でも、この出来事が語っていることは、単純に、夜遅くまで起きていると眠くなって寝てしまうから我慢しなさいといったことではないでしょう。私たちが、本当に祈りの力を知り、祈りを支えてくださっておられるお方を知っているか、という事柄を語っているのです。

 祈るということは、永遠に生きておられる神様と結ばれることです。さらに、神の御心を主イエスのように広く深く悟り、「わたしの願いではなく、御心のままに」という思いにまで至ることです。それは神様の愛の御心を本当に知るからこそ、できることです。御心に従うということは、ロボットのようにコントロールされることではありません。神様の全能の力と、限りない愛を知るがゆえに、その御手に信頼して、主イエスと同様に“私には分からないことが多々あるけれど、あなたに私のすべてをお任せします。私を用いてあなたの御心が豊かに現れますように”と神に一切を委ねる決心を与えられることです。

 そのような心は、本来の私たちの内にはありません。神様の導きと、主イエスの助けによって初めて生まれてくるものなのです。主イエスの十字架は、このような私たちのためでした。私たちは神様から遠く離れていた者でした。神に祈ることができませんでした。主は、そのような私たちを神様に近い者とし、祈ることができるようにしてくださったのです。今、私たちは“この祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります”と主のみ名によって祈ります。それはすなわち、神様と人との間に立って執り成してくださる主イエスを通して祈り、主の十字架を通して祈るということです。







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