2018.2.25
「主イエスが祈ってくださる」



ルカによる福音書22章31~38節

〈レント2〉

【音声データ】
※クリックすると音が出ます



    

「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(32節)


 ペトロは自分に〈自信〉がある間は、少しも主イエスの言葉をまともに聞こうとせず、軽く聞き流していました。でも、主イエスを裏切って、自分というものがいかに頼りなく弱い者であるかがつくづく分かったその時に、主の言葉が彼の心に甦ってきました。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」、躓いてしまった時、この予告の言葉が彼を救うことになりました。この予告を、彼ははじめ、聴く耳を持たずに一蹴したのです。ついで、その予告どおりになった時、その言葉を思い起こして愕然とし、奈落の底に突き落とされる思いを味わいました。しかし悔恨と絶望の底で、自分の躓きを主があらかじめ知っておられたということが、彼の慰めとなっていくのです。“主が私の弱さを知っていてくださる”ということを通して彼は、主が彼のために祈る執り成しの祈りに目を上げさせられてゆくのです。

 ペトロが3度も主を“知らない”と言って否んでしまったこと、それは彼が「信仰」を失ったことを意味してはいません。主を否んだすぐ後に、ペトロは主の予告の言葉を思い出し、外に出て激しく泣いたのでした(61~62節)。それは悔い改めの涙であり、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」という主イエスの助けなしには起こり得なかったことです。ここに、ペトロの信仰がちゃんと持続していたことが示されています。〈悔い改め〉とは、ただ単に過去の過ちを後悔して嘆くことではありません。方向転換をし、立ち帰ることです。すなわちペトロは、主イエスの祈りによって本当の自分自身に立ち帰り、神様の許に立ち帰ったのです。そして主イエスは、この彼の〈立ち直り〉を既に予告しておられたのでした。主は、この私たち一人一人のためにも祈り、支えていてくださいます。







トップページへ