2018.2.4
「同情してくださる大祭司」



ヘブライ人への手紙4章14節~5章10節


【音声データ】
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「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(15節)


 今日の箇所の少し前の2章17節には次のような言葉があります。「イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです」。そこで主イエスが「憐れみ深い大祭司」と呼ばれていた意味が、今日のところに語られています。すなわち主イエスは人間の「弱さに同情でき」るという意味で「憐れみ深い」お方なのです。肉体的な弱さや病気、内面的な弱さ、罪に対する弱さ……あらゆる弱さに「同情」してくださるのです。この「同情」するという言葉は文字通りには〈共に苦しむ〉という意味で、他者の苦しみをただ外側から眺めて同情するのではなく、その苦しみのただ中に自ら入り込んで行き、相手の苦しみをそのまま自分の苦しみとして背負うという意味を持っています。

 医者は、自分自身が病気にかかった時、患者に対してさらに理解を深め、一層優しく接するようになると言われます。主イエスは、私たちの苦しみを自分の苦しみとして背負うために「罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」。ですから、「偉大な大祭司」の偉大さは決して私たちと主イエスを隔てるものではありません。主は文字通り私たちのあらゆる弱さと苦しみをその身に負って十字架にかかり、肉を裂き、血を流して死なれたのです。あとの5章7節にも言われている通りです。「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」。  







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