2018.1.28
「すべての部分が共に喜ぶ」



コリントの信徒への手紙一 12章12~31節a


【音声データ】
※クリックすると音が出ます


    

「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(26節)


 この26節は本当に素晴らしい言葉だと思います。私たちは、このような教会になっていきたいと思うのです。一人の兄弟姉妹が苦しむ時には皆で共に苦しみ、一人が祝福を受ける時には皆で共に喜び合う。教会の本質とは、この「共に」ということではないでしょうか。たとえどんなに優れた人、素晴らしい賜物を持った人がいても、一人では教会になりません。逆に、私たちがどんなに弱く小さな者たちであるとしても、本当に主にあって心を一つにして「共に」歩むならば、かつて主イエス御自身が「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18・20)と約束してくださったように、主がそのただ中にいてくださり、私たちを一つの体としてくださるでしょう。

 実はこの26節の原文は、未来形ではなく現在形で書かれており、もう既に今、起こっている事柄について語っています。ですから、この言葉は“あなたがたはこういう教会・このような群れになりなさい”という命令とか、将来の目標ではなくて、むしろキリストによる〈恵みの現実〉を語っている言葉なのです。私たちは本当に欠けの多い者、不完全な者たちですが、心を一つにして主の名を呼び、集まる時に、このような私たちもすでに一つの〈キリストの体〉とされ、「共に苦しみ」「共に喜ぶ」教会とされているというのです。なんという恵みでしょうか! この〈恵みの現実〉を、感謝と畏れをもって受け取っていきたいと思います。

 このようにして〈キリストの体〉の「部分」とされた私たちですが、その働きは28節に記されているように実に多様です。私たちは一人一人、それぞれ違った賜物を与えられて、その人にしかできない働きをなすように神様から託され、期待されているのです。神様が、今、あなたに求めておられることは、いったい何でしょうか?







トップページへ