2018.1.21
「『今日』という日のうちに」



ヘブライ人への手紙3章7~19節


【音声データ】
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「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」(13節)


 罪の結果、起こってくるのは、神様に対する〈かたくなさ〉です。元の文では「かたくなに」は受け身・受動態ですから、〈罪に惑わされてかたくなにさせられる〉とも言うことができるでしょう。

 つまり私たちが「心をかたくなに」し、〈頑固になり〉〈神様からも人からも聞くことを拒否し〉〈神にも他者にも注意を払わない〉とき、その人の内には罪が主人のように働いているのです。本来、罪というのは悪いことばかりではありません。自分の罪に本当に気づいて、悔い改めて神様に立ち帰るならば、それは救いのきっかけとなるからです。しかし罪は、恐ろしい破壊力を持っているのです。

 今日の御言が示しているように、罪というのは私たちの内で支配者となって、こうした罪との戦いすら放棄させるように働くのです。神様に不平・不満を並べ立てさせ、「神など信じていても仕方がない」というふうに心の中に「不信仰」の思いを忍び込ませるように働くのです。これを「罪」と呼んでもいいし、〈悪魔・サタン〉と呼んでもいいでしょうが、目には見えなくとも、確かにこの力がすべての人に迫っています。この罪からきっぱりと決別するというわけにはいかない私たちです。その罪人である私たちが罪を抱えつつどう生きるかというと、あの息子を癒していただいた父親のように(マルコ9・24)、真剣に「不信仰」を嘆くのです。神様の足りなさを責め、不平を呟くのではありません。

 そして「だれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合い」生きるのです。「日々励まし合いなさい」というのは、週毎の教会の礼拝を中心とした、信仰者同士の信仰による「励まし合い」と支え合いの勧告です。〈罪の誘惑〉に、悪魔・サタンの策略に、皆で力を合わせて打ち勝つのです。







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